PIAZZA 購入記 

元はトイガンサイトだった当サイトに、いきなりPIAZZA関連のHPを増やしたのは訳があります。最近は以前ほどトイガン・ミリタリー関係に入れ込む事が出来なくなってきました。そこで新たな趣味という事で、昔から好きだったPIAZZAを買おう!と思い立った訳です(ホントはもうちょっと理由はあるんですけどね)。

何故今頃PIAZZAなのか??

購入に至るまでの経緯

それを語るには私のPIAZZAに対する思い入れを語らねばなりません(^^ゞ

PIAZZAの発売は1981年5月の事でした。1981年といえば昭和56年、25年も前の事です。当時の私は12歳で、中学生になったばかりの頃です。知ってる人は当然のように知っている事なんですが、PIAZZAの元になったのは、かのデザイナーGiorgetto GiugiaroがデザインしたショーモデルのAsso di Fiori でした。正直言ってAsso di Fiori の事は記憶に無いのですが、PIAZZAが市販されるやその斬新なデザインや未来的なコックピットに衝撃を受けたのを、今でも鮮明に覚えています。

私が中学生〜高校生の頃は近所にあったいすゞも元気で、PIAZZAもそこそこ見かけていました。ある時道端に止まっていたPIAZZAのコックピットをじっくり見る機会があったのですが、スイッチや計器類が沢山ありそのデザインにシビレました。思えば私のコックピット好きはこの頃に端を発しているようです(^^)

それ以来、PIAZZAはフェラーリやカウンタック、ポルシェといった並み居るスーパーカーを押しのけて、何時か乗りたい車のナンバーワンとなったのです。

高校生になると、通学途中のディーラーに寄ってPIAZZAイルムシャーのカタログを貰って来ました。そのカタログを何時も学校に持って行っては、休み時間に眺めていたものです。この時に私の中で「PIAZZA=イルムシャー=紺」という図式が出来上がってしまったのです。その後、ヤナセからネロイルムシャーのカタログをもらって、「これだ!!」と思いました。大好きな紺に塗られた車体にゴールドのピンストライプ、更にリトラクタブルヘッドライトに角4灯、そして何と言っても印象的なヒトデホイールカバーのスタイルは、実に流麗で私の琴線にビシバシ訴えてきました。    

                                                                                                 
高校時代は何時もこのカタログを眺めていたものです!(^^)!

休み時間にカタログを引っ張り出しては、友人達にこの車にのるぞ〜と宣言していた覚えがあります(^^ゞ

まだHBLが出る前で、XEが最上級グレードだったんですが、フロントエアダムにリヤスポイラーも無い、プレーンな形状でした。今なら素の状態の良さも分かりますが、当時はやっぱりスポーティーなイルムシャーでしたね〜

この写真が私のPIAZZAの虜にした元凶(笑)です。この写真に完璧にやられましたね〜

何処かの博物館か美術館の敷地内で撮影されたと思しき写真で、PIAZZAの都会的で洗練されたスタイルに実によくマッチしていました。

福岡市にも百道浜という綺麗な場所があるので、いつかそこで写真を撮ってみたいと思ってます。

友人達にも何時かこの車に乗るんだと宣言していました(笑

さて、大学になると当然のように車の免許を取りました。そこで早速車が欲しくなりました。当然狙うのは昔からの憧れのPIAZZAです。しかし、当時新車があったとは言え、大学生の身分で憧れの新車のイルムシャーを買うなんてとんでもない話でした。そこで目をつけたのが、ローグレードのPIAZZAです。中古車雑誌で見つけたPIAZZAを遠くの中古車屋まで原付バイクで見に行き、最終的にXJのホワイトに目をつけました。中古車屋のおやじも熱心に勧めてきて、見積もりまでもらって帰りました。ローグレードとは言え、憧れのPIAZZAは目の前に鎮座しています。もうこれは買うしかないと心に決めました。既に頭の中は女子大生を隣に乗せて海沿いをドライブする自分の姿を思い描いていました。しかし定職を持たない学生にローンが払えるはずもなく、一計を案じて姉と共同購入という作戦を立てました。しかしながら、姉との共同作戦はすぐに使用権を巡って破綻し、更に親にもそんな買い方では絶対無理と太鼓判を押され(?)結局そのときのピアッツァは買えずに終わりました。

次にPIAZZA熱が再発したのは大学を卒業して、就職が決まってからでした。当時PIAZZAは既にモデル末期にあり、カタログにもHBLのブリティッシュグリーンしか無いような状況でした。ヤナセ扱いのネロも既にネロボン(リトラが廃止され固定式ヘッドライトになったもの)仕様しかなく、イルムシャーのリトラ4灯がどうしても欲しい私には納得がいきません。さらにいすゞのPIAZZAはリトラ仕様ですがヘッドライトは2灯タイプ、どうしてもリトラ4灯火のPIAZZAが欲しかった私は、「後でライトを交換すれば良いし、イルムシャーよりHBLが新しいからエライだろう」と自分を納得させ新車を買う最後のチャンスとばかりに、いすゞのディーラーへ乗り込みました。しかしながらそこで愕然としました!既にディーラーにはHBL(ハンドリングバイロータス)のAT仕様しか売っていません。当時はまだ車はマニュアル車だという頭しかありませんでしたから、当然ながら全国のディーラーを探してもらいました。しかしいすゞのセールスマンに「もうATしか残ってないんですよねぇ〜既に工場のラインは止まってますし」なんて言われて、かなり落ち込みました。あれだけ買う気マンマンでディーラーに乗り込んだにも関わらず、ATのみという一言でイッキにPIAZZA熱は醒めてしまい、結局バイクに落ち着く事になりました。

その後は特に自分の車も持たず親のブルーバードを借りて乗り回したり、彼女のカローラUを乗り回したりしていました。その頃はバイクに夢中で、悪い友達にそそのかされて(笑)バイクで遊んでいました。しかし決して車を忘れた訳ではありませんでしたが、その頃はハイエースワゴンが欲しかったのでした。そんな頃、昔の友人がPIAZZA XSガンメタに乗っている事が分かりました。PIAZZA好き同士で随分話が盛り上がりました。色々と話をしていると子供が出来たのでカルディナワゴンに買い換えたいとの事。私に「格安で譲るがどうだ?」との話があったのですが、当時プーだった私にはPIAZZAを買う小金さえなく泣く泣く諦めたのです。

そして現代です。皆さんご存知の通り私のネットデビューはトイガンサイトによるものです。おかげさまで、HPを通じて随分沢山の方とお知り合いになれ、友人も沢山出来ました。しかし最近はすっかりトイガン・ミリタリー熱も醒めてしまい、なんとなく無為の日々を過ごしていたところ、会社の行き着けのガソリンスタンドで何気なく見た雑誌に、懐かしの車達とかなんとかタイトルが付いたPIAZZAの記事を見つけてしまったのです。家に帰って何気なく中古車サイトを覗くと意外に安いPIAZZAの中古相場。まあ考えたら当たり前の事で、既にかなり古い車が多いのです。既に旧車の部類に入っているくらいですし。「これならコレクションを幾つか売り払えば買えそうだなぁ・・・」「でも最大の難関はカミさんの説得かなぁ・・・・」などとPIAZZAが気になりはじめます。更に色々と中古車サイトを見るうちに衝撃の固体に遭遇します。私が一番好きだったネロイルムシャーの紺でした。これを見てしまったが最後、寝ても醒めてもPIAZZAが気になります。欲しくなります!

という事で、いろんなワザ(?)を使いつつカミさんを拝み倒して、ようやくPIAZZA購入許可をもらいました。気になる中古車は売れずに残っていたので、早速見積もり♪写真で見てもある程度は良い状態のようでしたが、外装や内容には気になる点がチラホラ(というか、結構ありました)。まあ、中古車は見逃したら最後、同じ固体には出会えないという格言(?)があるのを思い出して、「どうせ手を入れるし修理して乗ればいいや」というノリで購入を決定してしまったのです。

購入を決めてからは暴走特急状態でした(笑

先ずは近くの警察署で車庫証明を取得。これは担当窓口の警察官が意外にも親切丁寧な説明ですんなりOK。数日後に車庫証明は簡単に取得出来ました。次は仮ナンバーで走らせる為(予備検査だけして手元にくるので)に自賠責保険に入りました。何処で入るかが一番悩んだのですが、陸運局の下見に行った際に敷地内にある保険屋さんで3年分加入してきました。

そしてとうとうPIAZZAがウチにやってきました。ゼロの陸送で某中古車屋からやってきた我がPIAZZAです。でも最初の印象は意外に冷静なものでしたね〜。手元に来た我が愛しのPIAZZAを冷静に検分してみると、やはり色々と手を入れる必要があるようでした。幸いにも機関関係は好調なようで、懸案だったエアコンの効きも寒いくらいでした。とりあえず走るのに支障が無いのを確認すると、隣町の役場で仮ナンバーを借ります。借りるの自体は簡単でしたが、小さいプレートしかなくて取り付けに苦労しました。結局片側をボルト留め、片側をタイラップ留めという情けない格好で陸運局へ向かう事に。

仮ナンバーを付けイザ陸運局へ。

予備車検のみ取った状態で購入したので、本登録は陸運局で行い正式なナンバーを貰います。ネットで予備車検〜本登録の事を事前に調べていたのですが、簡単に終わるという割りには意外に時間を食ってしまい、午前中に乗り込んで終わったのは結局3時頃だったと思います。その殆どは陸運局の中をグルグル回っていただけなんですけども。もっとも実に分かり難い窓口と、幾つもの窓口を回る必要があった為に時間を食っただけで、手続き自体は係官に聞けば懇切丁寧に教えてくれたので簡単でした。しかし本職さんが多数いらっしゃる中にも、結構個人で申請している人が居たのが印象的でした。陸運局はバイクのユーザー車検以来だったのですが、相変わらず狭くて暑苦しいところでした(汗

本登録も無事完了して晴れてナンバーの付いたPIAZZAですが、その後ネットオークションを駆使して色んなパーツを漁りまくりました。その結果がトップページの写真という訳です。

現時点(2006年7月)では未だ納得できる状態にはなっていないのですが、これからゆっくりと手をいれてなるべく新車の状態に戻してやる予定です。

参考図書

古い車をイジるのに欠かせない整備書ですが、現状でもPIAZZA関連のものは高く取引されているようです。

現時点で私が集めた整備書・パーツリスト関係です。

左がチルトン整備書、右がいすゞ発行のシャーシ修理書、上が現在CD形式になっている、いすゞの全車を網羅したCDパーツカタログです。

チルトン整備書はPIAZZAを初めとして、ジェミニやビッグホーンを纏めて扱っているもので、エンジンや電装関係、シャーシ関係などに項目を分けて整備書の中でも特に必要な箇所を纏めた感じの内容です。例えばエンジンだとピアッツァやジェミニなどの図解説明がそれぞれ掲載されているといった感じです。正直車種毎にまとまっていないので見辛いのですが、オークションで3000円程度で手に入る事を考えると悪くない買い物かも知れません。

次にいすゞの本家整備書ですが、説明が簡素で結構頭を使う必要がありますね。エンジン整備書、シャーシ整備書、電装整備書、などと分かれているので必要なものを揃えようとすると結構大変です。私は取り敢えずシャーシ修理書を優先して入手しましたが、エンジン関係及び配線関係はチルトンのもので十分カバー出来るように思います。

いすゞのCDパーツカタログは基本的にいすゞが発売してきた全車種のパーツリストがCDに収められているものです。マスターCDからプログラムをインストールすると、あとは見たい車種を指定して要求されるCDを入れればデジタルのパーツリストを見る事が出来るようになっています。本来はディーラーが使ってパーツの発注まで可能なシステムのようですが、私はPIAZZAの部品がどうなっているかを見るのに使っています。オークションでは1000円程度で入手可能だと思いますので、PIAZZA乗りの方なら手に入れておいて損は無いと思います。

余談

因みに、私の車観に大きな影響があったもう1台の車があります。それはスバルALCYONE(初代)です。1985年の発売時の新聞広告は今でも鮮明に覚えています。この車もPIAZZA同様に非常に先鋭的なデザインで、Cd値0.29のフラッシュサーフェスボディーというのが最大のウリ文句でしたね。コックピットも外観に負けず劣らず未来的で、PIAZZAに通じる所があったように思います。もっとも全体のデザインの完成度やコックピットのまとまりなどはPIAZZAの方が遥かに上だったように思いますけども。

ついでにALCYONEというと実はPIAZZAとは切っても切れない縁があります。それは2代目ALCYONE(SVX)のデザインはG・ジウジアーロの手によるものだと言う事です。確かに外観はジウジアーロのデザインを忠実に再現して、それなりの完成度でしたが内装があまりにオーソドックスで、個人的には魅力的には写らない車でした。

そういえば85〜90年当時というと、いすゞのPIAZZA、スバルのALCYONE、そして三菱のSTARIONが不人気車御三家として有名でしたね。因みにPIAZZAとALCYONEはモチロンの事、STARIONの後期型のブリスターフェンダーが張り出しているヤツは大好きだったんですよねぇ。大好きな車が3台とも不人気御三家に入っているというのも、ある意味凄いことかも知れません(^^ゞ

スーパーカーには興味が無いのか?と聞かれると、正直言ってPIAZZAの前ではどれも霞んでしまいますね。カウンタックやフェラーリでさえ、PIAZZAには叶いません。あ、でも乗ったことが在る訳ではないので、乗ると気が変わる可能性は大です(笑

 


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